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東京高等裁判所 昭和32年(行ナ)13号 判決 1958年7月03日

原告 日東電気工業株式会社

被告 特許庁長官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一請求の趣旨、原因

原告訴訟代理人は、特許庁が昭和二十九年抗告審判第二、五六一号事件について昭和三十二年二月十五日にした審決を取り消す、訴訟費用は被告の負担とする、との判決を求め、請求の原因として次のとおり述べた。

一、原告は、昭和二十七年十月十三日、特許庁に対し、「加熱圧延ロールに依つて、熱軟化せる固型粘着剤の均一薄層を柔軟な合成樹脂皮膜の表面に圧着せしめ、この圧着面をドクター支え金具及び調整具を具備したドクターナイフで受け、熱軟化した皮膜を粘着剤層と共に圧延ロールから剥し取つて自由にし、これをガイドロールで引き取る事に依つて無溶剤糊の糊引を容易ならしめ、且つ均一平滑な糊引施工を迅速に行うことを特徴とする柔軟性合成樹脂皮膜への糊引施工方法」なることを要旨とする発明について特許登録出願をしたが(同年特許願第一六、一八一号)、昭和二十九年十一月十七日拒絶査定があつたので、同年十二月二十二日抗告審判を請求したところ、特許庁は同年抗告審判第二、五六一号として審理の結果、昭和三十二年二月十五日、右発明の方法は昭和十二年実用新案出願公告第一七、五七八号公報記載の公知事実から当業者の容易に推考し得る程度のもので特許法第一条にいう発明とは認め難い、との理由のもとに、抗告審判の請求は成り立たない、旨の審決をし、原告は同年三月五日その謄本の送達を受けた。

二、原告の特許登録出願にかかる前記発明の方法は、出願当時未だ何人によつても実施されたことのない新規の方法であつて、その工業的効果は極めて大なるものであるにかかわらず、審決は何ら首肯するに足るべき理由なくして、本件発明の奏し得る右効果を否定し去つたもので、著しく当を失し、取消を免れないものである。その理由を詳細に示せば、次のごとし。

(一)  本件発明の要旨は前に主張したとおりであるが、これを更に了解し易いように表現すれば、「圧延ロールにより無溶剤の熱軟化せる固形粘着剤を均一層に圧延し、之をロール間に於て熱可塑性合成樹脂皮膜の表面に接着せしめて後、圧延ロールに密着せる粘着剤層をドクターナイフにより圧延ロールより剥離して、粘着剤層接着の熱可塑性合成樹脂皮膜を自由状態に導きガイドロールにより引き取ることを特徴とする粘着剤塗着層を有する合成樹脂皮膜の製造法」(昭和三十二年二月二十日附差出の訂正明細書―甲第三号証の二)ということができる。すなわち右方法は、熱可塑性合成樹脂皮膜に粘着剤を塗着する従来公知の方法たる溶剤に溶解した液状粘着剤塗着に換え、無溶剤の粘着剤を圧延ロールにより層状となし、これを皮膜に接着せしめる手段の採用を可能にし、これにより溶剤法では企及し得ない厚層の粘着剤層をも単一操作により容易迅速に而も全く溶剤を使用することなくして合成樹脂皮膜に接着せしめることに成功したものであつて、その実際工業における効果は極めて大なるものである。

これに対して、審決が引用した昭和十二年実用新案出願第一七、五七八号公報に記載されたところは「廻転ロールの表面にゴム、樹脂、ワセリン、ラノリン、油脂等を主剤とせる粘着液を揮発油、ベンゾール其他の溶剤にて溶解したるものを上記ロールを廻転しつつ所要の厚さに塗布し、該塗布面に紙又はセロフアン紙等を押捺し、一定個所にてロール面より剥離し粘着液を紙面に転附する装置において、粘着液塗布ロールと紙との剥離点に粘着液の足発生防止用横杆を装置したるゴム質粘着液塗布装置の構造」に関するもので、この装置の使用により粘着剤溶液を廻転ロールで紙、セロフアン紙等の表面に圧接塗布し、一定の個所でロール面より剥離して自由にし、ロールと紙片の剥離点に設置した横杆で粘着液の足発生を防止しつつ、ガイドロールで引き取り、糊引を行い、絆創膏、粘着テープ等を製造することが記載されている。すなわち、この方法では、粘着剤は溶剤を使用した溶液であり、ロールと紙片の剥離点に設けた横杆は、粘着剤をロールから剥離する役目をするものではなく、紙片面に密着し、ロールから剥離した粘着液の足発生を防止し、均一平滑な塗布面を形成させるものである。

(二)  いま、本願方法と引用例とを対比すると、両者はロール面に密着させた粘着剤を基体シート面に転着せしめる糊引法を採用して粘着テープ等を製造するという抽象的な点で一致しているだけで、両者間には次に列記するような種々の根本的相違がある。

(イ) 前者の粘着剤は無溶剤の固体であるのに対し、後者のそれは溶剤に溶解した溶液である。

(ロ) 前者の基体シートは熱可塑性合成樹脂であるのに対し、後者のそれは紙又はセロフアン紙等で、熱可塑性を有しない。

(ハ) 基体シート面に塗着される粘着剤層は、前者においては相当厚層なる固体層であるのに対し、後者においては比較的薄層なる溶液層である。

(ニ) 前者において使用するドクターナイフはロール面に密着する無溶剤粘着剤層を剥離して基体シート面に密着させる作用をするのに対し、後者で使用する横杆はロール面に密着する粘着剤を剥離するものではなく、基体シート面に密着した粘着液の足発生を防止する作用をするものである。

(ホ) 前者における粘着剤層は圧延ロールによりロール面に圧延密着させるのに対し、後者のそれは粘着液槽より流出塗着させるものである。

かように、両者は実際面で極めて大なる相違が存し、引用例のごとき方法をもつては、本件方法により製造し得るがごとき製品の製造は全く望み得ない。

(三)  そもそも本件特許出願当時において、我国においてはもちろん、米国その他の国においても、ビニール、ボリエチレン、ナイロン等の柔軟な合成樹脂皮膜の表面に粘着剤の塗着加工を施す方法はほとんど液状粘着剤をもつてするものに限られ、無溶剤の固形粘着剤を塗着する方法は全く存在せず、圧延ロールとドクターナイフとを併設して無溶剤の固形粘着剤層を塗着した熱可塑性合成樹脂皮膜を製造する方法は本件発明をもつて嚆矢とするものであり、本件方法は全く独創的な、かつ工業的効果極めて大なるものである。

次に、その効果を要約摘示する。

(イ) 無溶剤の粘着剤を使用するため、溶剤使用を省略できて、火災の危険なく、乾燥設備も要せず、塗着速度が液状粘着剤使用の場合に比して数倍早く、塗布速度を変えても附属設備を変える必要がない。

(ロ) 粘着剤層の厚みを任意相当の厚さにすることができ、ことに液状糊では一工程で5/100mmの厚さの塗着が精々であるが、本願の方法では50/100mm位の厚さの粘着剤層を有するものを一回の操作で製造することができる。

(ハ) 強力な粘着力を有する粘着剤の塗着は、圧延ロールのみでは制限があり不可能であるが、本願の方法ではいかに強力な粘着剤でもその塗着が可能である。すなわち、強力な粘着力を有し常温では粘着剤のみで薄層の連続フイルム・シートができる位に固い丈夫な粘着剤でさえ、任意の厚みに均一にビニール樹脂皮膜表面に塗着させることができる。

(ニ) 溶剤に不溶又は難溶のために、他の粘着剤としての性能が非常によくても実用的に粘着剤として活用することができないようなものでも、本件発明の方法によつては、無溶剤固形粘着剤として液状粘着剤塗布と同様に、ビニール樹脂等の皮膜表面に塗着し得るので、粘着剤の応用範囲を著しく広汎ならしめ得る。

本件方法は、上述のごとき効果のあるものであつて、強力な粘着剤を塗着した合成樹脂皮膜は、絶縁用、防蝕用、荷造用等に使用するテープ等として使用することができ、極めて顕著な効果を有する。

一例として、防蝕用テープを挙げるのに、粘着剤層を適当に厚くすると、テープで巻いた部分はテープのビニール樹脂フイルムとそれに塗着した粘着剤の層の両層によつて防護されるため、ケーブル線に台風強風時等に木片や瓦石片が衝突したり、空気銃の弾丸等の命中したりする場合にケーブル線が部分的に破壊されることを防止できる。例えば昭和二十八年の大阪地方の台風時に本件方法によつて得られたビニール防蝕テープで被覆した数十kmの区間は事故皆無であつたが、その他の区間は大打撃を受けた事実があり、これは、液状糊をもつてする防蝕テープでは20/100――30/100mmの厚き弾力性ある強大なる粘着塗層を有するものを製造することは不可能であることが、製造現場で一般常識化されているが、本件方法においては、液状粘着剤使用の方法によらず、無溶剤固形粘着剤をもつてする前述のごとき厚層、弾力性ある粘着塗層を有するビニール防蝕テープの製造に成功し、その製品が前述のごとき大なる効果を発揮し得たことを物語るものである。

(四)  要するに、本願の方法は、出願前未だ実施されたことのあるを知らない新規の方法であり、その効果は絶大なものであつて、審決で引用された公知事実とは著しく異なり、これらより容易に実施し得る範囲をはるかに脱しているものであるから、新規なる発明を構成し、特許法第一条に規定する要件を具備するものである。

三、被告の主張に対して、

(一)  原告が本願発明の内容として前記に敷衍説明した点は、被告が主張するように本件審決当時の明細書(甲第二号証の二)の内容を逸脱するものではない。右明細書には、加熱圧延ロールとドクターナイフの使用により無溶剤の粘着剤を熱可塑性合成樹脂皮膜に接着させることに関して記載されており、その操作手段に関する図面も添附してあるのであるが、ただ右明細書には記載方法に不十分の点があつたので、これを了解し易い表現に改めたのが甲第三号証の二の訂正明細書である。したがつて、これによつて審決の当否を検討することは、許容されてしかるべきである。

被告は、無溶剤糊引法自体周知であると主張する。しかし、従来塩化ビニール樹脂皮膜のような熱可塑性合成樹脂皮膜に粘着剤を塗着するには、溶剤に溶解した液状粘着剤をもつてするのを普通とし、粘着剤の厚層を欲する場合には塗着工程を反覆するのを常とするものであるが、本願発明においては液状粘着剤を使用せず、これに換えて無溶剤の粘着剤を使用し、これを圧延ロールにより層状にして皮膜に接着させるものであつて、無溶剤の粘着剤を綿布類に接着させること自体は従来公知に属するところであるが、本願発明のように塩化ビニール樹脂等の熱可塑性合成樹脂皮膜に無溶剤の接着剤を接着させることは周知ではない。何となれば無溶剤の接着剤はロールに接着し、皮膜上によく接着させることが困難であるからである。そして綿布類に無溶剤粘着剤の薄層を接着させる場合には、粘着剤は綿布類によく接着し、ロールに接着するようなことはないから、ドクターナイフの使用などは必要としないのであるが、無溶剤の粘着剤をビニール樹脂皮膜等に厚層として接着させるには、粘着剤がロールに附着し粘着剤接着の皮膜を引き取ることができなかつたので、本願発明においては、ドクターナイフの使用により無溶剤粘着剤の厚層をロールから剥離し、これを皮膜に接着させることを達成したのである。すなわち、本願発明は、熱可塑性合成樹脂皮膜に無溶剤の粘着剤の厚層を接着させることが従来行われていなかつたのを、ドクターナイフの使用によつて可能にしたものであり、これを公知事実から当業者の容易に推考し得るところであるとする被告の主張は、首肯し得ない。

(二)  前記のように、本願発明は無溶剤粘着剤を熱可塑性合成樹脂皮膜に塗着することが目的であり、周知の綿布類等に無溶剤粘着剤を塗着するのとは自ら異なるものであつて、綿布類に対する厚層の塗着は比較的容易であつても、熱可塑性合成樹脂皮膜に対する厚層の塗着は容易ではなく、その容易でない無溶剤粘着剤の厚層の塗着を単一操作により達成させたのが本願発明であり、その場合ドクターナイフの使用が重要な役割を果しているのである。すなわち、従来の溶液粘着剤をもつてする場合には塗着の操作を反覆して始めて塗着層を厚層にすることができたのを、無溶剤粘着剤による単一の操作により厚層の塗着層を得ることを可能にし、優秀な製品を得ることに成功したことは、これまさに重大な効果であり、否認さるべきいわれはない。

(三)(イ)  被告は、加熱軟化無溶剤粘着剤も、溶剤軟化粘着剤も、塗布時においては、物理的性状に格別の差異を認め難い粘着性糊状物である、と主張するが、溶剤による粘着剤は常温において糊状をなす液であるから、これを塗着することはすこぶる容易であるのに比して、無溶剤粘着剤は加熱により始めて粘着性の柔軟可塑物となるもので、これを熱可塑性合成樹脂皮膜に接着させようとするときは、皮膜自体が柔軟になり強靱性を失うから、その接着を全からしめて引き取ることは容易ではない。したがつて、これを塗着するに当つては、それぞれ異つた手段によらざれば、所期の目的を達成し得ないことは当然で、本願発明と引用公知のものとの間に極めて大なる相違があることは論をまたない。

(ロ)  セロフアン紙は、無溶剤の粘着剤を塗着する場合のごとく粘着剤が加熱状態にある場合にも可塑化軟化するおそれはないが、本願発明における熱可塑性合成樹脂皮膜は粘着剤の熱により可塑化され軟化することは必然であるから、伸長力に対する影響は両者の間に著しい相違があり、同一視することはできない。

(ハ)  本願発明においては、無溶剤の熱軟化せる粘着剤を圧延ロールにより均一層に圧延しこれを熱可塑性合成樹脂皮膜の表面に接着せしめ、圧延ロールに密着せる粘着剤をドクターナイフによつて圧延ロールより剥離して、粘着剤層接着の熱可塑性合成樹脂皮膜を自由状態に導き、ガイドロールにより引き取るものであるから、その皮膜に接着した粘着剤層は相当厚層のものであることはもちろんであるが、引用例においてセロフアン紙等の表面に塗着される粘着剤層は溶剤に溶解した粘着液を塗布して形成せしめるものであるから、比較的薄層のものであることは、常識的に明らかである。けだし、溶剤に溶解した粘着剤液は流動性であるから、余り厚層の塗布は不可能であるからである。

(ニ)  本願発明において使用するドクターナイフは、その先端がロール面に密接しており、ドクターナイフにより粘着剤を剥離された後は、ロール面に粘着剤は附着せず、粘着剤は皮膜に密着して自由状態となり、引き取られるものであり、すなわちドクターナイフは粘着剤をロールより剥離してこれを基体シート面に密着させる作用をするものである。これに対して、引用例において使用する横杆は、ロール面に密着する粘着溶液を剥離させるものではなく、基体シート面たる紙片面に附着した粘着液の足発生を防止する作用をなすものである。しかるに、本願発明においては、粘着剤は無溶剤のものであるから、溶剤に溶解した粘着剤液のように足発生の懸念はなく、ロール面に密着した無溶剤粘着剤層をドクターナイフにより剥離すれば、平滑な面を形成して、基体シート面に接着せしめられるのである。

したがつて、本願発明におけるドクターナイフと引用例における横杆とは、全くその作用を異にしており、後者が前者に勝る方法であるというがごときことは、全くあり得ない。

(ホ)  圧延ロールによる無溶剤粘着剤の供給と溶剤に溶解した液状粘着剤を流下供給することとの間に、技術上甚しい相違のあることは、何人も認めるところであり、本願発明の審決当時の明細書には、用語こそ異なれ、かような粘着剤供給手段についても記載してあつたことは、前に主張した通りである。

(四)  被告は、原告のいう「常温では粘着剤のみで薄層の連続フイルム・シートができる位に固い丈夫な粘着剤」とは比較的軟化点が高く、熱可塑性シート自体の極度の軟化を伴うことなしにはこれを加熱糊化するに困難な粘着剤と解しているが、かゝる被告の解釈は誤断に基くものである。原告のいわんとするものは、強力な粘着力を有し、常温では粘着剤のみで薄層の連続フイルム・シートができる位に固い丈夫な粘着剤であつて、被告のいうように軟化点が高い粘着剤ならば、常温で皮膜表面に粘着させることは不可能である。そして、原告のこゝに意味するごとき強力な粘着力を有する粘着剤を使用する際にも、ドクターナイフの使用により皮膜面への厚層粘着剤の接着が可能となるというのであつて、その場合に溶剤塗布法が適するというようなことは考えられないことであり、被告の答弁は著しい見当違いである。

第二答弁

被告指定代理人は、主文通りの判決を求め、次のとおり答弁した。

一、原告が本訴請求原因として主張する事実中、原告がその主張のごとき合成樹脂皮膜への糊引施工方法につき特許登録の出願をしたところ、その拒絶査定、抗告審判請求を経て、原告主張のごとき理由で右請求は成り立たない旨の審決があり、それが原告主張の日に原告に送達された事実並びに右審決が引用した実用新案出願公報記載の内容が原告主張のとおりであることは認めるが、原告出願の方法が果してその主張するように当時未だ何人によつても実施されたことのない新規のものであるかどうかは知らず、またその工業的効果が原告主張のように審決の引用した前記公報所載の方法に比しきわめて大なるものであること、その他本件審決を不当であるとする原告の主張は、すべてこれを争う。

二、(一) 原告は本願発明の要旨につき、更に了解し易いように表現するとして、あらためてその内容を敷衍説明するところがあるが、その説明中、「圧延ロールにより・・・・・粘着剤を均一層に圧延し」とある部分は、本件審決当時の明細書によれば、本願発明の要旨とはされていなかつたのであり、右事項を本願発明の要旨に含めて本件審決の当否を論ずることは相当でない。

原告は本願方法と審決が引用した公報所載の考案とを比較して、あたかも本願方法が無溶剤糊引法を可能ならしめる唯一のものであるかのごとく主張するが、無溶剤糊引法はそれ自体周知であり、同じく剥離具としてそれ自体周知のドクターナイフの使用との間に何ら不可分の因果関係を認めるに由がないものである。原告が本願方法の採用により極めて大なるものであると主張する効果は、ドクターナイフの使用などとは無関係な、単なる無溶剤糊引法に共通な周知の効果であるに過ぎず、結局その糊引法自体も引用刊行物記載の公知事実から当業者の容易に推考し得る程度のものを出でない。

(二) 原告が本願発明と引用例との間の根本的差異として主張する(イ)ないし(ホ)について、被告の見解は次のとおり。

(イ)  前者の加熱軟化無溶剤粘着剤も、後者の溶剤軟化粘着剤も、塗布時においては、その物理的性状に格別の差異を認め難い粘着性糊状物である。

(ロ)  後者のセロフアン紙は一般通念上熱可塑性物質の範疇外のものであるにしても、伸張力に対して(特に加温その他の情況の下で)ある程度の変形性を有すると認められるばかりでなく、それ自体脆弱なものであるから、粘着ロールからこれを剥離する際、これに加えられる伸張力の影響を考慮する必要のあることは、前者の熱可塑性合成樹脂の場合と同様である。

(ハ)  基体シートに塗布されるものは、固体でも溶液でもなく、同一の物理的性状を有する粘着性糊状物であるから、両者の塗布層自体の厚さには必然的な差異を認め難い。

(ニ)  原告は、後者の横杆は単に粘着液の足の発生を防止するに役立つに止まり、ロール面からシートを剥離する作用をなすものではない、と主張するが、ロールとシートの間にドクターナイフであれ、横杆であれ、何らかの障害物が介存すれば、両者が剥離されることは自明の理であり、後者はこの横杆によつてシートを剥離した上、更にこれによつて前者のドクターナイフによつてはなし得ないような塗布面の足の発生をも防止しようとするものであるから、この意味において後者はむしろ前者に勝る方法であるというべきである。

(ホ)  原告が主張する粘着剤塗布方法の差異は、単に粘着性糊状物の粘度の差異に基く粘着剤供給操作上の問題に過ぎないもので、糊引自体には直接関係のない事項と認められるばかりでなく、もともと前者におけるこのような粘着剤供給手段は、審決当時の明細書に発明要旨として包含されないものであつたことは、被告の前に主張したとおりである。

かように、両者の糊引法の間には、何ら発明に値するような糊引機構上の本質的な差異が存在するものではないことは、明らかである。

(三) 原告が本願方法の効果として主張する各点は、その大部分が単なる無溶剤糊引法に共通な周知の効果であることは、前に答えたとおりであるが、特に原告が前記二(三)(ハ)において「常温では粘着剤のみで薄層の連続フイルム・シートができる位に固い丈夫な粘着剤(被告はこれを比較的軟化点が高く、熱可塑性シート自体の極度の軟化を伴うことなしにはこれを加熱糊化するに困難な粘着剤と解する)でさえ、任意の厚みに均一にビニール樹脂皮膜表面に糊着させることができる」と云つて、あたかも本願の糊引法のみがビニール皮膜に対して難加熱軟化性粘着剤の使用を可能ならしめる唯一の方法であるかのように主張しているが、被告はこのような軟化困難な接着剤を使用する場合こそ、溶剤塗布法がこれに適すると考える。その理由は、原告の主張するようなドクターナイフの使用に関係するものではなく、むしろこのような粘着剤を塗布期間中一定の軟化状態に保持し、かつこれを均一に塗布することの困難性によつて、原告の主張するような無溶剤糊引法の一般的な利点が相殺されると考えるからである。

したがつて、従来本願のような糊引法が全く行われていなかつたという原告の主張を仮に容認するとしても、その事実は決して本願方法で使用するドクターナイフや引用例の横杆などの周知の剥離具を無溶剤糊引法の剥離具として利用することに思い至らなかつた結果であると解することは、相当でない。

三、なお、被告はドクターナイフを使用することによつて熱可塑性合成樹脂皮膜に無溶剤の粘着剤を接着させることの可能性を否認するものではなく、この場合ドクターナイフ以外の剥離具を使用することも可能であるばかりか、それ自体周知の剥離具であるドクターナイフを使用することは、当業者の容易に推考し得る程度のものであると主張するものである。

原告は引用例の塗着物を「粘着剤液」であるとして、あたかも粘着剤の溶液のように表現しているが、被告は引用例の粘着液とは溶剤によつて粘着剤を半溶解した粘着性糊状物であると考える。したがつて、塗着乾燥後の粘着剤層の厚さは、溶剤法である限りは当然無溶剤法のそれより幾分薄層となることは認めるが、塗着及び剥離時における層の厚さには、両者間に本質的な差異を認めない。

またドクターナイフを使用する場合は、剥離点が比較的鋭点であるため、特に足の発生という程の現象は起らないとしても、これを商品とするためには、ロールによつて剥離面を平滑にし、かつこれを艶出しする等の仕上げ処理が必要であるが、引用例においては横杆を使用することによつて、本願方法において必要とするような仕上げロールの使用を省略し得る点は、むしろ有利な方法であると考える。

第三証拠<省略>

理由

一、原告が、昭和二十七年十月十三日、特許庁に対し、要旨後記のごとき合成樹脂皮膜への糊引施工方法につき特許登録出願をしたところ(同年特許願第一六、一八一号)、昭和二十九年十一月十七日拒絶査定があり、同年十二月二十二日抗告審判の請求をしたが、(同年抗告審判第二、五六一号)、昭和三十二年二月十五日、右発明の方法は、昭和十二年実用新案出願公告第一七、五七八号公報記載の公知事実から当業者の容易に推考し得る程度のものである、との理由のもとに、右請求は成り立たない旨の審決があり、同年三月五日その謄本が原告に送達されたことについては、当事者間に争いがない。

二、さて、原告出願の発明の要旨が、「加熱圧延ロールに依つて、熱軟化せる固形粘着剤の均一薄層を柔軟な合成樹脂皮膜の表面に圧着せしめ、この圧着面をドクター支え金具及びドクターナイフで受け、熱軟化した皮膜を粘着剤層と共に圧延ロールから剥し取つて自由にし、これをガイドロールで引き取ることに依つて無溶剤糊の糊引を容易ならしめ、且つ均一平滑な糊引施工を迅速に行うことを特徴とする柔軟性合成樹脂皮膜への糊引施工方法」にあることは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第二号証の二(本願の訂正明細書)によれば、右の合成樹脂皮膜としては、塩化ビニール、ポリエチレン等の皮膜が挙げられ、また固形粘着剤としては、再生ゴム、ロジン油及びロジンエステルの配合物が例示されているから、結局本願発明は、「加熱圧延ロールによつて固形粘着剤配合物を軟化して均一な薄層となし、これに塩化ビニール、ポリエチレン等の合成樹脂皮膜を圧着せしめて両者を一体となし、この粘着剤と皮膜との圧着物をドクターナイフによつてロールから剥離して自由状態となし、これをガイドロールで引き取ることにより粘着剤層を塗着した合成樹脂皮膜―いわゆる粘着テープ類を製造する方法」であると認めることができる。

原告は、本願発明の要旨を更に了解し易いように表現するとして、敷衍説明するところがあるが、原告はこれと同一内容の訂正明細書を昭和三十二年二月二十日附で特許庁に提出したが、すでに審決のなされている後の差出であつたため、受理されなかつたことは、成立に争いのない甲第三号証の一、二によつて明白であるばかりでなく、本件出願発明の要旨は前記認定によつて十分に明確なものであるから、更に原告主張のごとくこれを敷衍して、要旨の認定をすることは、その必要がないといわなくてはならない。

三、次に、審決が、本願発明の方法は当業者がこれから容易に推考し得るものであるとして引用した昭和十二年実用新案出願公告第一七、五七八号公報記載の考案の要旨が、「廻転ロールの表面にゴム、樹脂、ワセリン、ラノリン、油脂等を主剤とせる粘着液を揮発油、ベンゾール其他の溶剤で溶解したるものを、上記ロールを廻転しつゝ所要の厚さに塗布し、該塗布面に紙又はセロフアン紙等を押捺し、一定個所にてロール面より剥離し粘着液を紙面に転附する装置において、粘着液塗布ロールと紙との剥離点に粘着液の足発生防止用横杆を装置したるゴム質粘着液塗布装置の構造」に存することは、当事者間に争いがなく、これに成立に争いのない甲第六号証(公報)の説明書及び図面を参酌すれば、該考案は、ゴム質の粘着液を紙、セロフアン紙等に塗布して絆創膏、粘着テープの類を製造する装置に関するもので、粘着液塗布ロールから紙等を剥離する場合に、ロールと紙との間に粘着液の足が発生して不均一な塗布面が生ずることを防ぎ、平滑な塗布面を得るために、右剥離点に横杆を設けたものであることが、明らかである。

四、そこで、本件出願発明と審決引用例記載の考案とを比較すると、両者は粘着テープ類の製造にあたつて、粘着剤を廻転ロール面に所望の厚さの層とし、これにテープ類の基体シートとなるべき紙、セロフアン紙又は合成樹脂皮膜等を圧着させて、粘着剤と基体シートとを一体とし、次いでこの圧着物をロールから剥離し、ガイドロールで巻き取つて製品とするという点で、共通の方式を採用しているものであり、両者の相違点と認められるものは、次の諸点である。

(イ)  粘着剤が、引用例では液と記載してあるのに対し、本件発明では固形状である。

(ロ)  基体シートが引用例では紙、セロフアン紙等であるのに対し、本件発明では塩化ビニール、ポリエチレン等の合成樹脂皮膜である。

(ハ)  引用例の横杆は、ロールとテープとの剥離点において粘着剤の足が発生するのを防止することを目的とするものであつて、前記甲第六号証の説明書及び図面によれば、該横杆はロール面と僅少の間隔を置いて設けられており、粘着剤は横杆によつて全部ロールから剥ぎ取られるのではなく、一部はロール面に残るものと認められるが、これに反し、本件発明では、ドクターナイフはロールに直接接触していて、粘着剤をロール面から全く剥離せしめるものであること、前記甲第二号証の二の明細書の説明及び図面によつて、明らかである。

(ニ)  引用例は絆創膏、セロテープのような比較的薄手の製品を製造するのに適しており、本件発明の方法はケーブル線の絶縁テープのような厚手の製品を得るのに好適である。

五、進んで、右両者の相違点について検討を加えるのに、まず、(イ)粘着剤、(ロ)基体シート及び(ニ)製品の厚さについては、元来これらは主として使用目的に応ずる製品の種別いかん(例えば、絆創膏、絶縁用テープ、封緘用セロテープ等)によつて適宜に選択組み合せ得るものであつて、例えばケーブル線の絶縁用テープと絆創膏とでは、粘着剤や基体シートの種類、配合及び製品の厚さ等が相違することは、当然である。そして、本件発明についてみても、かような粘着剤や基体シートの種類、配合ないしは製品テープの厚さ等に発明の要旨が存するものとは認められず、これらはいずれも在来既知のものと解するのが相当である。なお引用例公報には「粘着液」と記載されており、これは一見本件発明の固形粘着剤とは著しく異なるもののように見受けられるが、右引用例の「粘着液」においても、その溶剤たる揮発油類は揮発し易いものであるから、該「粘着液」とは結局廻転ロールから自由に落下しない程度に流動性のある粘着剤とも称すべきものと認めるのが相当であり、したがつて特に粘着剤成分の種類並びに配合割合等に格別の限定のない本件発明における固形粘着剤との間に、截然たる区別があるものとは認められない。

最後に(ハ)の相違点について考えるのに、引用例の横杆は本件発明のドクタナイフのようにロール面から粘着剤層を剥ぎ取るのに直接作動するのではないこと、前記認定の該考案の要旨自体に徴し認めるに難くないけれども、元来ドクターナイフなるものは、ロール面等に附着している粘着性物質を剥ぎ取るために普通に用いられるものであることは当裁判所に顕著な事実であるから、これを粘着テープ類の製造に当つてロール面からの粘着剤層の剥離に使用することは、技術的に格別新規な手段とは認め難く、当業者の何人も容易に行いうるところであると認めざるを得ない。

六、以上の各点を綜合判断するのに、結局本件出願発明と引用例の考案との間には、前記のような差異が存するにしても、本件発明は、右引用例に示される、ロール面上に接着剤層を所望の厚さに設け、これに基体シートを圧着させた後に、両者の一体をなして圧着物となつたものをロール面から剥離し、ガイドロールに巻き取つて、粘着テープ類を製造する、という公知事実に、ドクターナイフによる粘着物の剥離という既知の手段を組み合せたものであるに過ぎず、製造しようとする製品の粘着剤層の厚さ、基体シートの種類等に応じて、当業者の容易に実施し得る程度のものであつて、特許法第一条にいう新規なる工業的発明とは認め難いものであるといわざるを得ない。

七、本件審決も右認定と趣旨を異にするものでないと認めるのが相当であり、その取消を求める原告の請求は理由がない。よつて、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟特例法第一条、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 内田護文 原増司 入山実)

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